佐伯直樹、42歳。
地味で真面目な中間管理職。営業部の課長として、部下を守り、上司に気を遣い、誰よりも会社に尽くしてきた。出世は遅いが、それでも「誠実にやれば、いつか報われる」と信じていた。
そんな彼の世界が、ある朝、静かに崩れた。
「本社が買収されました。来月から新体制になります」
会議室で発表されたとき、誰もが言葉を失った。
だが、それは始まりに過ぎなかった。
—
週明け。Slack導入、英語メール必須、オンライン商談、フレックス勤務、KPI評価制度の導入——。
「時代に合わせるだけです」と軽く言う新任役員。
だが、直樹にとっては「積み上げてきたものをすべて否定された」ような衝撃だった。
戸惑いながらSlackを開けば、若手たちが飛ばす軽快なスタンプやGIF。
意味がわからない略語が飛び交う。
「FYI」「ETA」「ASAP」……なんだそれ?
エクセルは重く、提案書のフォーマットも合わない。
英語の打ち合わせでは、何を言ってるかすら分からず、ただ笑ってうなずく自分が情けなかった。
ある日、直属の上司に呼ばれた。
「佐伯さん、このままだと…正直、厳しいです。若手とのギャップもありますし、対応力という点で…」
「わかってます」
そう言った声は、かすれていた。
その晩、帰りの電車で直樹は頭を抱えた。
「俺はもう…時代遅れなのか?」
—
それでも、翌朝。
彼は一つだけ決めた。
「やめるのは、変わってからでもできる」
まずは、英語。YouTubeの子ども向けチャンネルから始めた。
通勤時間はずっと英語の音声。
若手に頭を下げて、Slackの使い方を聞いた。
「へぇ、佐伯さんやる気あるじゃないすか」と笑われた。
悔しかった。恥ずかしかった。
でも、絶対に折れたくなかった。
ミスもした。会議に遅れた。英語メールで大恥もかいた。
「無理だよ、俺には…」と夜にノートを閉じたこともある。
でも次の日、また開いた。
—
半年が過ぎた頃、社内プレゼンでチャンスが来た。
プロジェクト提案の登壇者が急遽欠席。代打を探していた時、ある若手が言った。
「佐伯さん、最近ずっと勉強してるし、任せてみてもいいんじゃないですか?」
誰もが驚いた。そして、直樹は立ち上がった。
手は震えていた。
でも、言葉は通った。表情は伝わった。
提案は、採用された。
終わった後、新任役員が言った。
「You’ve come a long way, Saeki-san. I’m impressed.」
直樹は、笑った。
—
変わることは、痛みを伴う。
だけど、変われた自分を、一番誇れるのは自分自身だ。
その日、家に帰ってネクタイを外した時、彼はふと呟いた。
「まだまだ、いけるな」
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泥をかぶっても、恥をかいても、それでも立ち向かう者だけが、未来をつかむ。
変化に喰らいつけ。お前の可能性は、まだ終わっちゃいない。
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