勝手になれよ。ミニマリストに
黙ってやればいい。 こっそり始めて、気づいたら「あの人、なんかスッキリしたよね」とか言われるのが、たぶん一番クールだ。
なのに、なぜかブログに書きたくなってしまった。
そういうの、ありませんか? やけに面倒なことにスイッチが入る、あの瞬間。 「オレ、今日から変わるわ」みたいな、ちょっと青臭い宣言を、誰かに聞いてほしくてたまらなくなる感じ。
きっかけは、一本の映画。 ショーン・ペンが監督した『Into The Wild』だ。
裕福な家庭を捨て、学歴を捨て、文明から離れてアラスカの荒野で独り生きた青年の実話。彼(クリス・マッカンドレス)の姿に、ずっと消えない憧れがある。
ただ、誤解しないでほしい。 ぼくの場合、彼のように「すべてを捨てて、何も持たずに自然へ」というハードコアなサバイバル願望とは少し違う。ぼくが本当に求めているのは、「本当に素晴らしいモノ、心から愛せるモノだけに囲まれた生活」への願望だ。
そう、ぼくは俗物なのだ。
たぶん。 モノが嫌いなんじゃない。むしろ好きだ。大好きだからこそ、悩みは深い。
現実:モノに殺されそうな日常
という高尚な理想とは裏腹に、現実は完全にその逆を行っている。 自分でも痛いほど、わかっている。
ぼくはどちらかというと「モノが多いタイプ」だ。 いや、謙遜するのはよそう。ハッキリ言って、モノが多すぎる。
たとえば、ガジェット。 「これ最高!」「この機能、オレの生活を変える!」と思って買う。最新のワイヤレスイヤホン、多機能なスマートウォッチ。 でもしばらくすると、また別の“最高”が現れて、レビュー動画を観て、気づいたらポチっている。衝動買いだ。
たとえば、服。 「このデザイン、唯一無二!」と惚れ込んで買ったインポートもののジャケット。 でも1シーズン着ると、次のシーズンにはまた別の“唯一無二”が雑誌の表紙を飾っていて、そっちが気になって仕方ない。
で、結果的に、あれほど「最高!」と熱狂したモノたちが、どれも「まあまあ良かった」という凡庸な存在に格下げされていく。 そんな「熱しやすく冷めやすいモノ遍歴」の残骸が、部屋のあちこちに澱のように溜まっていく。クローゼットの奥で、引き出しの底で、彼らは静かにぼくを見ている。「お前、オレのこと最高って言ったよな?」と。
10年使っているモノは?
さて。 そんな「モノの墓場」の主であるぼくは、ひとつ、自分に厳しい問いを立ててみた。
「お前が10年以上、現役で使い続けてるモノって何?」
……少ない。実に少ない。 本気で考えたが、指が折れない。
MountainSmithの腰バッグ
学生時代に買った、何の変哲もないウエストポーチ。アウトドアブランドの旧タグ。生地はくたくた。黒い色も結構色褪せて来ました。でも、こいつの「どうでもよさ」と「異常なタフさ」が、なぜか手放せない。
RedWingのブーツ
これも若い頃に無理して買った。手入れもろくにせずガシガシ履いて、傷だらけだ。でも、雨の日も雪の日も、こいつだけは裏切らなかった。
これくらいだ。 あとは、買っては捨て、また買って…の無限ループ。 10年どころか、3年続いたモノすら怪しい。 ぼくの人生の「厚み」って、この程度なのか?と愕然とした。
宣言:勝手にミニマリストになる
そんなわけで、ついに覚悟を決めました。 もう、この「モノへの不義理」を繰り返すのはやめる。
勝手に、ミニマリストになります。
まずは“形”からでもいい。勢いでもいい。 どうせぼくは「熱しやすい」んだから、その熱量を今度は「捨てること」「持たないこと」に向けてみようじゃないか。 このブログに書くことで、自分を引き返せない状況に追い込もうって作戦だ。誰か見てるか?見てなくてもいい、書くぞ。
第一弾:衣類断捨離決行
今回はまず、最も手強いクローゼットの中から攻めてみた。 開けるたびに、着ていない服が雪崩を起こしてくる魔境だ。
- 数年前に買った派手柄のシャツ(当時はイケてると思ったが、今見るとデザインに飽きた)
- 黄ばみがうっすら浮き始めた白Tシャツ(「いつか漂白すれば…」と思い続けて3年)
- 「高かったから」という理由だけで捨てられないブランドもののニット(虫食い)
- サイズが合わなくなったデニム(「痩せたら履く」という未来への呪い)
これらを一枚ずつ、黙々とゴミ袋へ。 「もったいない」という悪魔のささやきが聞こえる。だが、今のぼくは違う。「これを残しておく方が、スペースにとって“もったいない”」と、謎のロジックで対抗する。
結果、45リットルのゴミ袋がパンッパンになった。 重い。物理的にも、精神的にも。 これだけの「迷い」を溜め込んでいたのか。
クローゼットにできたぽっかりとしたスペースは、まるで、 「新しい自分」が入居する準備をしてくれたかのようだった。 風通しが良くなった。気がする。 やってよかった。マジで。
それでも、まだまだ溢れてる
とはいえ、我が家にはまだまだモノがあふれている。 衣類は序章に過ぎなかった。
- 読み返す気配のない大量のビジネス書や雑誌、完結した漫画。(「いつか参考にするかも」という“いつか”は、たぶん来ない)
- 気づけば増えてた靴や小物。(ストレスが溜まるとスニーカーを買う癖、どうにかしたい)
- 用途不明のガジェットの空き箱と充電ケーブル。(どれがどれのだか分からない)
- 「部屋着だから…」という免罪符のもと、生き残ったヨレヨレの衣類たち。
次はこいつらを一掃して、 部屋に「余白」を作りたい。 情報が多すぎるこの世界で、せめて自分の部屋くらいは、ノイズのない空間にしたい。
その「余白」の中に、自分の“本当の好み”や“こだわり”を、もう一度見つけたいんだ。
最後に:ミニマリストって、肩書きじゃない
ぼくがなりたいミニマリストって、 「何も持たない人」「我慢してる人」ってことじゃなくて、 「自分にとって本当に必要なものが、心の底からわかってる人」なんじゃないかと思う。
それは、 「なんとなく買う」のをやめて、「これじゃなきゃダメだ」と愛せるモノだけを選ぶということ。 「消費」を卒業して、「愛用」へシフトするということ。
だからぼくは、今日からそっち側の人間になる。 勝手に。誰に許可も取らずに。